PROFILE
プロフィール
ナチュラルなものよりはモード感のあるヘアデザインが得意。
1990.9月2日たぶん午後2時くらいに、
福島県猪苗代町という日本で5番目に大きい猪苗代湖という絶妙なランキング上位の湖がある町に生まれる。
千円札の野口英世の家までチャリで10分、がちょっとした自慢のど田舎。
小学二年生から中学三年生までの9年間、スキー部に所属して根性と体力と先輩との付き合い方を叩き込まれる。
スキー部といっても坂をサーっと下るかっこいいスキーでなく、クロスカントリースキーという林の中をスキーで登ったり下ったり平地を押して走ったり、吹雪の中でも汗と鼻水を垂れ流したりしながら半袖で走るような、今思えば根性を鍛えるためだけにあるような競技だった。
全国大会にも出させてもらって仲間の大切さを学んだ。(ボロ負けでしたが)
高校はもっとスマートな事がしたいと思い、都会ぶって管弦楽部という、いわゆるオーケストラ部といわれるハイカラな部活に入部した。
きっかけは新入生歓迎会で演奏してたオーケストラ部の先輩に田舎には絶対にいない、ツーブロックマッシュというなんだかすごくオシャレに見える先輩が涼しげな顔でティンパニーを叩いてるのを見て「カッケー!!」と思ったのがきっかけだった。
その後その先輩にはレッチリのフリーが凄いこととか、sum41やらグッシャーやらアンドゥムルメステールやらアントワープ6やらマルジェラやら東京ボッパーやらチューンやらフルーツやらニーハイブーツやらグリーンのモーターサイクルジャケットがイカしてることとかいろいろ教えてもらった。
そして僕は念願の、汗と鼻水とは無縁のスマートな高校生活を送ることに成功する。
そんな僕が美容師になりたいと思い始めたのは少しさかのぼり、中学一年生のとき。
猪苗代町に1つだけあるTSUTAYA(中坊の溜まり場だった)でほぼ毎日雑誌を立ち読みしてる中で、東京流行ってるオシャレな髪型やファッションが載ってるチョキチョキという今はなきファッション雑誌の影響がかなり大きかった。
そこのスナップコーナーに載っている、スーツも着ず、髪も明るくなんだか好き勝手やってるような美容師という職業に憧れを抱いた。
その頃からオシャレに興味があった僕は、ファッションも髪も自由に楽しいことをしてるであろうキラキラ光って見えるその人たちの一員になりたいと思い、中坊のころから美容師という職業以外まったく考えずに今まで生きてきた。
(幼稚園生の時のパン屋さんになりたいとかお花屋さんになりたいとかウルトラマンになりたいとかを除いて。)
高校も普通高校よりはなにか役にたつかもしれないと商業高校にした。
(うちの店は手締めなので電卓がちょっと早く打てる以外は役に立っていない。人生回り道も大事。)
そして渋谷の有名な美容学校に進み、渋谷のセンター街の居酒屋で朝までバイトをしながら学校に通うこととなる。
居酒屋のバイト代で買ったCanonの一眼レフで写真を撮る事が趣味となり、それが今でも続き、髪と人を撮るのが1番の楽しみになっている。
いい写真が撮れた時が1番テンションが上がる。
就職したお店はROSSOというお店で、昔は原宿、今は下北沢と西荻窪に二店舗、高校の時にカッコいいなと思う髪型を切り抜いて集めたファイリングの中でもいい髪型が1番多かったお店だ。
(実は就職してから実家に帰り、こんなのやってたなーって思って見返したら実は1番ROSSOが多かったというのを後々になって発見した偶然で運命だったと思う)
そして今年で美容師歴7年目
来てくれる人をこちら側の熱をもってドキドキワクワクさせていたい、
いつもと違うって言ってもらいたい、
僕にしかできないデザインじゃなくて僕とお客さんの二人だからできるデザインがやりたい。
美容師は一人じゃできない、二人だからできるデザインがある。
できるだけ泥臭くて人間っぽい美容師がいい。
そんな事を思いながら毎日美容師やってるボクデス。
.
世界はつまらない、世界はおもしろい
いつも思う、それは自分次第。
ぶち壊していこうぜ破天荒に。
.
よろしくお願いします!