下北沢 美容室 ロッソサンテ

あなたと周りをドキッとさせる髪を。

小林 明彦
店長

小林 明彦コバヤシ アキヒコ

Kobayashi Akihiko
BIRTHDAY
1990年9月2日
HOMETOWN
福島県猪苗代町
HOBBY
一眼レフカメラ 音楽(特に邦楽、インディーズ)  お酒を飲みながら革靴磨き  YouTubeを見ること
MY HAIR
PROFILE

プロフィール

1990.9月2日たぶん午後2時くらいに、

福島県猪苗代町、白虎隊の意思を受け継ぎこの世に生を受ける。

千円札の野口英世の家までチャリで10分、がちょっとした自慢の田舎。

小学二年生から中学三年生までの9年間、スキー部に所属して根性と体力と理不尽な先輩との付き合い方を叩き込まれる。

スキー部といっても坂をサーっと下るかっこいいスキーでなく、クロスカントリースキーという林の中をスキーで登ったり下ったり平地を押して走ったり、吹雪の中でも汗と鼻水を垂れ流したりしながら半袖で走るような、今思えば根性を鍛えるためだけにあるような競技だった。

全国大会にも出させてもらって仲間の大切さを学んだ。(ボロ負け)

高校はもっと文化的でスマートな事がしたいと思い、オーケストラ部といわれるハイカラな部活に入部した。

きっかけは新入生歓迎会で演奏してたオーケストラ部の先輩のつばさ先輩を見たからだった。

校則が厳しい中、彼はツーブロックマッシュで黒縁メガネというとびきりオシャレに見えるつばさ先輩が、涼しげにティンパニーを叩いてるのを見て「都会!!!」と思ったのがきっかけだった。



その後、先輩にはレッチリのフリーが凄いこととか、sum41やらグッシャーやらアンドゥムルメステールやらアントワープ6やらマルジェラやら東京ボッパーやらチューンやらフルーツやらニーハイブーツやらグリーンのモーターサイクルジャケットがイカしてることとかいろいろ教えてもらった。



そして僕は念願の、汗と鼻水とは無縁のスマートな高校生活を送ることに成功する。





そんな僕が美容師になりたいと思い始めたのは少しさかのぼり、中学一年生のとき。


猪苗代町に1つだけあるTSUTAYA(中坊の溜まり場だった)でほぼ毎日雑誌を立ち読みしてる中で、東京で流行ってるオシャレな髪型やファッションが載っている、「チョキチョキ」という今はなきファッション雑誌の影響がかなり大きかった。


そこのスナップコーナーに載っている、スーツも着ず、髪も明るく、好き勝手やってるような
「美容師」
という職業に憧れを抱いた。


その頃からオシャレに興味があった僕は、ファッションも髪も自由でキラキラ光って見える、「美容師」になりたいと思い、中学生のころから、美容師という職業以外まったく考えずに今まで生きてきた。

(幼稚園生の時のパン屋さんになりたいとかお花屋さんになりたいとかウルトラマンになりたいとかを除いて。)



高校も普通高校よりはなにか役にたつかもしれないと商業高校にした。

(電卓を打つのは早くなったが、実際役には立っていない、そういうものですよね人生)

そして渋谷の有名な美容学校に進み、渋谷のセンター街の居酒屋で朝までバイトをしながら学校に通うこととなる。



居酒屋のバイト代で買ったCanonの一眼レフで写真を撮る事が趣味となり、それが今でも続き、髪と人を撮るのが1番の楽しみになっている。

なんたっていい写真が撮れた時が1番テンションが上がる。

就職したお店はROSSOというお店で、昔は原宿、今は下北沢と西荻窪に4店舗、高校の時にカッコいいなと思う髪型を切り抜いて集めたファイリングの中でも、いいと思う髪型が1番多かったお店だった。

(実は就職してから実家に帰り、こんなのやってたなーって思って見返したら、実は1番ROSSOが多かったというのを発見したのは24歳の時。運命ってこう言うことかと思った)


そして今年で美容師歴11年目


来てくれる人をこちら側の熱をもってドキドキワクワクさせていたい、

いつもと違うって言ってもらいたい、

僕にしかできないデザインじゃなくて僕とお客さんの二人だからできるデザインがやりたい。
美容師は一人じゃできない、二人だからできるデザインがある。
できるだけ泥臭くて人間っぽい美容師がいい。
そんな事を思いながら毎日美容師やってる小林明彦です。
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35歳までに美容師の業界紙で表紙を飾るのが目標です。
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世界はつまらない、世界はおもしろい


いつも思う、それは自分次第。
ぶち壊していこうぜ破天荒に。
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よろしくお願いします!


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